アナイアレイションの解説
アレックス・ガーランド監督の映画「アナイアレイション」の感想
関連しそうな作品
- 「生き物と無生物のあいだ」の著者、福岡伸一氏の生き物とは動的平衡という発言を彷彿とする細胞の入れ替わりによる自己存在の同定が難しくなる問題。
- 「幼年期の終わり」のような群体から集合的単一存在への進化、そして古い種の絶滅。
- 「遊星からの物体X」 のようなエイリアンの模倣(と融合)。
- ラブクラフト 「狂気の山脈にて」(未読) の模倣する古きもの。
- 監督がアレックスガーランド 注意深く深読みしないとただよく分からない雰囲気のカッコいい映画になってしまう。
福岡伸一氏は、生き物とは動的平衡であると言った。細胞は死に、入れ替わっている。そして数ヶ月で入れ替わる。個人としての同一性、連続性はありながらミクロの視点でみれば全ての細胞が入れ替わっているのだから別人である。
しかし、ピースが一つかけたパズルを穴の形から元のピースを作るが如く情報を補うことで情報は保持され、個人が連続の存在であると認識できる。
福岡伸一氏は相補的に柔軟な流れの中に存在し、破壊と修復を繰り返し、バランスを保つ、この特性を動的平衡と定義した。
ストーリー把握のために重要な発言、出来事
- シマーはミラーリングしている、電波も遺伝子情報も
- クマが声をコピーしたことを受けて、コピーできるのは、遺伝子情報だけでなく、声や感情もコピーできる
- 生き物は、自己破壊を必ずしている。生きる為に一見矛盾する自己破壊をする。
- 遺伝子レベルで自己破壊の習性を生き物は持つ。一見すると自ら不幸になる為に行動する行為は、生きるための手段である。
- エリアXに入った人間は全てなんらかの形で精神的あるいは肉体的な自傷行為を行なっている人である。
- 旦那の不在による不倫、依存症、リストカット、スーサイドミッションへの参加、これらは全て自己崩壊への欲求によるもの。
- 細胞には分裂回数の限界があり、それが生き物の老い、寿命の原因である。
- 神は生物に欠陥を作らない。分裂限界は欠陥ではない。
- 細胞が分裂する、交叉するたびに変化が起こり、進化する
- がん細胞は分裂限界がない。細胞の分裂のエラーであり、進化する代償。
- 腹から爆発的に増殖したかのように壁に細胞が張り付いた先遣隊の軍人の死体。
- ワニとサメの融合体の代表する、分化が終わった生物同士の後天的な融合。
- 孤独だったヴェントレスの、全てが私の中にあるという発言。
- お前が俺なのか?もうたくさんだ。という辞世の言葉
- レナ「あなたはケインじゃないのね」ケイン「違うかもしれない。君はレナ?」レナ「」
作品内で一貫したテーマ
要約するのは困難だが、一つ言えるのは、この作品はミクロの世界で起こる細胞の分裂と自己破壊を マクロの人間とを意図的にダブらせている、という事だ。
つまり 人間←細胞
人間の集まりである人類←細胞の集まりである人体
このような構図がある。
であるから、映画の中で言及される細胞に纏わる、あるいは人体に纏わる情報は、理科の授業のように聞き流してはいけないのだ。
なぜならば、細胞に起こることは人間、ひいては人類全体に起こるからである、
ラストシーンで主人公が何者なのか、そしてその意味は何か。
この映画は、ラストに主人公がコピーされた夫と抱き合うシーンで終わる。
この際、二人の目が光る。つまり純粋な人間ではないことが示されている。
しかし、ラストの前のクライマックスで主人公は自分のコピーを爆破している。
素朴に読むと、主人公はオリジナルの人間であると考えられる。
だが、さらにその前ワニを殺した後のボートのシーンで、主人公は腕を怪我したことを意味ありげに語るシーンがある。つまりこ こで体に何か入ったことが示されている。
そして何度も何度も、細胞が分裂するシーンが短く写されて、主人公の顔のアップに切り替わる。
よって、ラストシーンで夫はコピーであると知りながら抱き合っているのは、個人としては初めの主人公と同一であるが、細胞レベルでは同じではない存在である、と言える。
夫の不在による不満を抱えていたレナは、集合的存在と融合したことにより、夫が転写された存在と共に生きる選択をする様に変わるというラストだ。
これはつまりメッセージとしては、オリジナルか偽物かはどうでもよく、自己破滅的な行動をして、人と人とのあいだの関係が壊れても、細胞が自己破壊と同時に分裂と修復が起こるように、元の鞘に戻れるよ。でも元のままには戻らないよ。と言っているのだ。
メタレベルで読めば、監督が作ったエクス・マキナは人間より人間らしい、そして人間より優れた存在が生まれ野に放たれるラストだった。 よってテーマが同じであるならば、ラストの解釈と映画の次に起こることは、主人公と夫は成立過程が異なるが進化した種族のアダムとイブになった。これから、人類が徐々に進化した存在に入れ替わっていくが、それは全体としてみれば動的平衡を保っていて、人類という種族としてこれからもあり続ける。というラストなのだと言える。
また、主人公が頑なにヘイフリック限界が神の意志であることを強調していたことから、この進化の訪れもまた神の采配なのだ、という作り手のメッセージもしれない。