初めての精神科
24年間生きてきて、初めて精神科を受診した。
正直、あまり期待した結果は得られなかったが、診察の前にカウンセラーに自分の現状、来歴、家族構成、困っていることなどを聞かれて、それに回答することのほうが、良い経験であった。
初めて自分が感じている生きづらさ、他の人と違うと感じていること、問題などを赤裸々に話すことができた。
相手が初めてあったプロフェッショナルであったため、ある意味嫌われるとか恥ずかしがるとかなしに話せた。あまりに話したかったのか、何度も相手の話を遮ってしまって、自分でも困惑した。
先生は女性の先生で、自分の話に真摯に耳を傾けてくれたが、問題はそこではなく、ADHDや鬱といった状態の診断は、意外にも時間がかかり、かつその解決のための投薬も鬱に対しては何週間か服薬し続けなければ効果がないということ、自分の現状は物事がいっぱいいっぱいになっていることへの不安からくるものと判断されて、精神安定剤を処方されたということである。
自分は、コンサータのようなドーパミンの再吸収を阻害するような薬で一発でなんとかしてほしかったのだが。
一日目、あまりそれらの効果は感じていない。
WATCHMEN アラン・ムーア著
メモ - 途中まで読んでいて、なぜか集中力が途切れて読むのをやめていたが、今回一気に読めた。多分やらなければいけないことをやる代わりに読んだことが達成の秘訣である。()
大筋は同じだったが、区切り区切りで、作中に登場したアイテムの詳細や、手紙、計画書などが数ページあって、面白かった。ダンの寄稿した鳥類の記事、シルクスペクターの映画の記事、オジマンディアスの社長としての部下への手紙など。
ただ、途中で精神がおかしくなった船乗りのホラー伝記のようなものが、なぜ挟まっていたのかよくわからなかった。
爆弾ではなく、実体を伴った精神兵器である、エイリアンの侵略で、世界平和を実現するというのは、なんかアメコミっぽいというか、その筋の当時の人達は、サイケ、精神汚染、ドラッグ、といったテーマがあるのだろうが、ちょっと笑ってしまった。ニューヨークの市民が半分が死ぬだけだし。
コメディアンが、CIAなどのアメリカの暴力的強権の象徴という感じがよくわかった。映画だとあまりよくわかった。
映画では、コバックスが脱獄の際に押収されたヒーローマスクを探してそれまで表情一つ変えなかったのに「where is my face!」と叫ぶ最高のシーンがあった。しかし、コミックスではマスクを探すシーンすらなく、スペアを家から持ってきただけだった。ただその代わりに、金欲しさに大家がついた嘘を罵ったあと、その子供をちらっと見るカットがあり、それが子供の目線から描かれていて、娼婦の母親と当時の自分を重ねているのかな、と思わせる印象的な場面だった。
マスク依存症(シラフ恐怖症)の話をnoteとかに書きたい
4年間の自身の体験を話したい。これからなるだろう人に、いいたい。
あと、修士論文のあれこれ(友達の話から、イシューからはじめよから、無理なイシューには立ち向かわないことを思い出したこと。)
読書メモ 自走プログラマー
pythonの本というより,開発のアンチパターンを初心者に丁寧に書いた本.良い.
- 実装の進め方
- ドキュメントを読んで解決する
- 時間的な制限を決めてから
- 実装を始める前に同僚や仲間に相談する
- やることを明確化
- 問診票
- どんな痛みを解決するの?
- 痛みの大きさや頻度は?
- 誰の要望,痛み?
- 問診票
- 最小で実用できる部分から作ろう
- リソースは有限
- やる気
- 時間
- 人に追い抜かれる
- リソースは有限
実装予定箇所にコメントでTODOを書く
- 実装が途中でも,設計の説明をする
- 実装予定箇所にTODOを書いて,プルリクエストを送る
- 根拠のURLなども送る
- 方向性を確認してもらう
関数名は長くなっても,やることを明確にする
- 動詞を先頭にする
- 結果として取得できるものの名前
- 役割
命名の参考
ドキュメントはチームで合意しながら,更新していく.
観た映画
海底軍艦
監督:本多猪四郎 円谷作品
1963年の作品ということもあり、戦争の匂いが全然残っている。戦後の幸せを謳歌する人々と戦争に囚われている古い軍人という構図で古い軍人がお国のためにということを捨て、娘のためひいては世界のために海底軍艦を使って海底のムー国を滅ぼすという内容だ。
若い世代が正しく、古い世代が悪い。物語の立て付けはそうだが、ゴジラと同じく製作者側が戦争を忘れた人々をいけ好かないのだということがわかる。
そのためか物語が進むに連れ、転倒が起きる。
最初、海底に帝国を築き地熱を利用し、レールなく空を飛ぶ電車(あるいはモノレール)など「ムー国人」の強大な力を示し恐怖を煽るシーンが多いのに対し、後半に行くにつれ、その実態がいかに逼迫していてかつ統制の取れていないかが描かれる。
後半で特に意味があると感じたシーンは3つある。 一つはムー国へ轟天号が攻め入ったシーンだ。 部下が指導者へ攻撃被害の報告をすると、ムー国の指導者が「バカな!そんなことがあるか!我々より劣る民族に外から動力室へ行けるはずがない!断じてない!」と言い放つ。その次のシーンで強力な冷凍銃を持った轟天号部隊の攻撃に対し半裸のムー国の兵士がナイフを携えて向かっていくが無残に凍らされる。このシーンは明らかに日本軍をイメージさせるために撮ったシーンである。
もう1つは最後のムー国皇帝が身投げをするシーンだ。
ムー国皇帝は若い成人しているかどうかといった年齢の女性である。言動も強気ではあるがそれ以上のものはない。特に能力があるとは描かれていないし、本当に特別な能力がないのだとわかる。
ムー国が爆破されて以降は一言も発することなく、ただ爆発と沈められるムー国潜水艦を見るだけ、かと思いきや突如走り出す。静止する海兵に対し行かせてやれと命令する神宮寺大佐。甲板を端まで走ったと思った次の瞬間海へと身を投げる。滅びゆくムー国へ泳いで行こうとしているのだ。
これもバンザイクリフ的な表現であり、戦争に囚われている神宮寺大佐がその場でその気持ちを理解してやれる唯一の人間であるということが強調されている。
前半の楠見と神宮寺真琴の「国のためには私情を捨て命まで投げ出す」「国のため?」「愛国心だよ」「愛国心?」「今の若者には理解できんだろうな、愛国心なんて」という会話が思い出される。
これはつまり愛国心があるからこそ皇帝があのような行動をするのであり、神宮寺大佐があのような計画を企てたわけだ強調している。
そして最後が爆弾である。 2つの計器のついた銀色の塊を合体させて設置させてタイマーで爆発する。これはウラン型原爆のオマージュだろう。ウランが臨界を超えないように分解して爆発する前に組み合わせる。爆弾については言及はなかったが、ムー国を爆発させるじゃない威力があるのはそういうものということだろう。
モブサイコ100
僕のヒーローアカデミア
デカダンス
めっちゃメタい感じの設定で面白かった。
移動都市もののスチームパンクな世界観とプログラムが意思を持ち、世界を支配しているマトリックス的な世界観が組み合わさっている。
また人の住む世界が上位存在のゲームのなかであるというのもなかなか面白い。でもそんなに目新しい感じではないが、それがマトリックスのような仮想現実ということではなく、実世界の地球の一部に構築された箱庭的なものの中に形成されているというのが新しく感じた。 上位存在のプログラムは有機的な体を操作してゲームに参加するというのは、オルタード・カーボンのスリーブに似た概念であり、マトリックスのスミスが実世界の人間に乗り映るアイデアと同じである。