目覚ましなし健康法
巷にあふれる独自健康法
いろいろな健康法が世の中にはありますね。
その中に一石を投じる健康法を思いついたので書き残したいと思います。
その名も目覚ましなし健康法です!
睡眠の重要性
睡眠不足はあらゆる健康の重要な要素に影響を与えます。
最近は新型コロナウィルスの驚異が叫ばれていますが、ワクチンがない今、対抗しうる最大の対策は2つです。
一つは体内に入れないための消毒やマスク。
もう一つは免疫機能を高めることです。
睡眠と免疫機能がどんな関係があるのでしょうか。
驚くべきことに体内時計と体のシステムの多くが密接に関係しており、体内時計が狂うとそれらも狂うということがわかっています。
体温などの「自律神経系」「内分泌ホルモン系」「免疫・代謝系」などが、体内時計によって約1日のリズムに調節されており、このような約1日の周期をもつリズムのことを概日リズムと呼んでいます。
睡眠を多く摂ることを強制的する環境づくり
睡眠の重要性がわかってもらったところで、では実際にどうすれば睡眠をしっかり取れるのでしょうか。
さとい方はもうおわかりですね!目覚ましを使わず起きることで強制的に睡眠を多く取れるのです。
体は毎日同じストレスに晒されるわけではありません。あるときは新しい環境で良いストレスがあったり、イライラしてストレスがあったり、旅行に行って新しい刺激を受けて発散と別の良いストレスを受けたり、グラデーションがあります。
つまり、毎日体が欲する睡眠の量が違います。
そこで目覚ましを掛けないとどうなるか。長く寝ます!単純に。
それにより仕事が圧迫されます。
しかし、それは仕事がキツキツで体のキャパシティより超過しているということなのです。
ですから、目覚ましをしないでも周る仕事の強度で仕事のスケジューリングやマネジメントをすれば健康に近づくという寸法です。
体がストレスを受けて、長く寝たいと欲するならそれだけ長く寝る。欲さないならいつもどおりの時間寝る。
これが目覚ましなし健康法です。
結論
これは思考実験的なもので、方法自体は当たり前と思えるかもしれません。
しかし、健康=命というものを最重要にプライミングしたとき、視野が変わって普段から当たり前と思っている常識でも疑う余地がでてきます。
映画CUREを何度目か観た
映画の特徴
この映画は分類すると、いわゆる人間の狂気で魅せる現代ホラーであるが、その表現している内容はメッセージ性が強く、かつ象徴的なものや出来事をフラッシュバックorリフレインする洗脳的表現手法を用いていて、それでいて全く説明に乏しいという映画である。
ラストシーンに確信が持てた
ラストシーンは議論がありました。
以下のような内容です。 ラストシーンの直前に役所広司演じる主人公高部刑事は、間宮を殺した。これで自体は収束したかに思えた。
しかし、次のラストシーンでそれまでと打って変わってやけに元気ハツラツな高部刑事と後片付けをするウェイターへ場面が切り替わり、カメラが高部刑事からウェイターに集中してラストのラスト映画の終わり際にウェイターが逆手で包丁を握り締めて歩き出し、これからも催眠による殺人は続くのだわかる。
という終わり方でした。
ウェイターに催眠を掛けたという証拠
しかし、間宮が行ったような具体的な催眠の方法をウェイターに仕掛けたようには見えないのでこれが視聴者に疑問をもたせたまま映画が終わる原因でした。
ここで私は今回何度目か観ていてその感想を他のブログから眺めていた結果、あることを知りました。
それは、一度のカットの切り替えでタバコが短くなっていることとコーヒーの量が減っていることです。とくに今回はコーヒーの違いを示します。
ウェイターが持ってきたときカップの8割ほど注がれている。
口に持ってきた際には4割以下に減っている。
減りが早いタバコ
タバコは何回か口をつけているので減っているのはわかりますが、それにしても一度のカットの切り替え後にしては減り過ぎではないかと思います。
映画内では実は時間が経過している
ウェイターがコーヒーを持ってきて始めて口をつけたので、当然量は減っていないはずですが実際には4割ほどになっており、かつタバコは3割ほどがすでに灰になっています。映画的な嘘としてスルーしてしまうのが普通でしょうが、これは意図してやっていることなのでしょう。
つまり、実はウェイターに催眠を掛けているが視聴者に見えないように飛ばしているというのが真相のようです。
ネットフリックスで色々観た
「私立探偵ダークジェントリー」
ロード・オブ・ザ・リングのフロド役で有名なイライジャ・ウッドが主人公。
ストーリーは謎が謎を呼ぶ、推理アクション?
自分は見たことないが、「ツイン・ピークス」が起源のものらしい。
テレビドラマ「トリック」「SPEC」「熱海の捜査官」などが同じタイプであると思う。
謎が謎を呼ぶこういったタイプのドラマは自分は大好物なのだが、これも面白かった。
全体論的探偵、全体論的暗殺者などを自称する登場人物たちが出てくる。
このタイプのストーリーは、謎を作るために因果関係が明確に説明できない因果関係が起きる。それを登場人物のセリフで自分語りさせてしまうのは面白かった。
「全体論的にAとBはつながっている」という具合に視聴者に謎を謎のままに受け入れさせて、物語の最後にその因果関係を説明する。
ただ、こういったタイプは途中で謎にうんざりして見るのをやめてしまいがちだ。この作品はもうちょっとご褒美的なものを増やしてもいいと思った。
日本のドラマは小ネタを挟んでくれるので、おやつ感覚で気分をつなぐことができるが、Netflixは全世界的に配信するのでそういった小ネタ(特にローカルネタ)を仕込みにくいのかもしれない。
ただ、そういったときに美少女を画面に入れてなんとか画をもたせるということを日本だとしがちだが、そんなことはなく結構頑張っていた印象がある。
ラブ、デス&ロボット
オムニバス形式で「ラブ」「デス」「ロボット」というテーマで様々な作品が短くまとめられている。ぶっちゃけただのSFもある。
一番最初の人形ロボットが荒廃した地上を歩くとき、"鉄の足が頭蓋を踏み抜き、そこからなめるようなカメラアングルでロボットの顔"という「ターミネーター」オマージュをしていて心を掴まれた。
許されざるもの
- 主演・監督:クリント・イーストウッド
1993年
クリント・イーストウッドめちゃくちゃカッコいい あまり作品は見たことがなかった。
クリント・イーストウッドって見るたびにしわくちゃでずっと老け顔の印象があった。しかし、スクリーンのなかではめちゃくちゃ渋い顔をする。あの顔の深いシワは深い憂いがあらわれたものなんだと思わせる。しびれた。
- 世間一般にも評価が高いらしい
「第65回アカデミー賞」では9部門にノミネート
それまでも西部劇をやってきたクリント・イーストウッドは、それまではあまり評価されていなかったらしい。
と言うよりも、西部劇は下に見られがちのようだ。1900年代初頭に"ホースオペラ"というB級西部劇の蔑称があり、それを脱却するリアル志向の映画が1950年代までに作られたらしい。しかし本当の西部の歴史を知るものが少なくなるにつれリアル志向としてのエネルギーは再び失われた感がある。(推測)
西部劇=カウボーイというものは、西部開拓時代つまり19世紀の1860年~1890年を指すものだ。 *1
こんな短い間の出来事をこんなにも話題にするのは、その出来事がアメリカ人にとって象徴的だからだ。
開拓者精神、自警団意識(ヴィジランティズム)、カウボーイ、賞金稼ぎ...
こういったものが表す精神が現在も重要だと感じるから何度もそれを思い出すために西部劇を見る。(アメリカの憲法が銃規制をしないのも同じ理由でしょう)
1993年という年に公開されたこの作品に対してそれまでのクリント・イーストウッドのフィルモグラフィでは最高の評価で迎えられられたのも、むしろ現実ではいままでの価値観が通用しなくなったから懐古するという意味で参照するということも含めているのだと勝手に思っています。
追記
評論はこの記事が面白かったです。
確かにそれまでの西部劇の脱構築(脱構築ではなくアンチテーゼ?否定?)をしているという構造でした。
途中で伝説のガンマンの逸話を徹底的に否定する保安官のシーンも、それはそっくりそのまま西部劇というアメリカの神話を否定するというメタ的な構図になっていました。目的のカウボーイを殺すときに手に汗握る銃撃戦というのもありませんでした。不意打ちで、ふたりとも丸腰でした。これもそれまでの過剰に表現されたカウボーイ像とはかけ離れていました。
ただリアル志向というわけではなく、徹底的にかっこよさを否定するという点が意図的でした。リアル志向でもかっこよくしようと思えばいくらでもできるからです。
特に評論の中で面白かったのは、ラストの復讐の場面です。
ラストの復讐の場面ではそれまでの否定の文脈からはずれて、むしろオールドタイプの西部劇をやるという構図になっているという指摘はたしかにそうだなと思いました。
それまでの否定が嘘のようにカウボーイをします。
物語的には徹底的に西部劇的な魅力を否定するので視聴者はお預けを喰らっていますから、すごいカタルシスのあるラストシーンです。
しかしではこれまでのテーマと思われていたアメリカの神話「西部劇」を否定する、終わらせるという文脈から外れたラストシーンはどう解釈するべきなのでしょうか。
先の評論では、「西部劇の神話により、現在にまで続く問題が起きている。しかしその問題を解決するためにその西部劇的な正義を貫徹する」ということだと解釈されていると私は解釈しました。
クリント・イーストウッドは保守です。(アメリカの保守は基本的には先に述べたカウボーイ精神の延長線上にある。)
私はクリント・イーストウッドが西部劇というものを丁重に葬るために、最後に華をもたせたのではないかと思いました。
やっぱり保守なのでしょうね。クリント・イーストウッドは。
treeコマンドをTUIにする
現状
なんとなく、Treeをそのまま移植すれば、TUIになるんじゃないかと思ったが、案の定ずれて表示された。
├───"Cargo.lock" ├───"Cargo.toml" ├───"README.md" ├───"src" │ ├───"main" │ └───"main.rs" ├───"target" │ ├───"debug" │ │ ├───"build" │ │ ├───"deps" │ │ ├───"examples" │ │ ├───"incremental" │ │ ├───"tree-cd" │ │ └───"tree-cd.d" │ └───"rls" │ └───"debug" └───"tree-cd.code-workspace"
草。
TUIツールと言う言葉を知った
tree-cdコマンドの改良
skimというfzfみたいなrustによるファジーなファイル探しのライブラリを、tree-cdを「モードを持つアプリ」にしようと思って読んでいた。
そこで、自分が作りたかったのはTUIコマンドという分類であるとわかった。
TUI
GUIとCLIの中間に位置する。 UIがCLIよりもリッチだが、文字による表現の粋を出ない。
チュートリアルを発見した。
TUIをRustで実装するためのライブラリを探していたら、チュートリアルを発見したのでやっていこうと思う。
参考文献
Building a terminal application with tui-rs - Qiita
GitHub - fdehau/tui-rs: Build terminal user interfaces and dashboards using Rust